ドキュメンタリー「Mothers of Fukushima 福島の母たち」― トレーラー

ぜひ、見て、まわりの方たちに広めてください。
『Mothers of Fukushima-Trailer』
(2012)
LABOR VIDEO PROJECT
(サンフランシスコ)

http://youtu.be/L94h124zMvA


文字おこしをして下さったこちらのサイトもシェアさせていただきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/papakoman/17028050.html

(1人目の女性)

 原発事故から一年7か月、一日も心が休まる日はありませんでした。子どもたちの笑顔を見たら、申し訳なくて涙が出るし、雨が降っても風が吹いても不安です。甲状腺検査を受ける子供たちの姿を…苦しくて胸が引き裂かれそうでした。どうしてこんな風に生きなければいけなくなったのですか? 全部原発のせいだと。「原発さえなかったら」。毎日思っています。
 でも、今日ここへきて、福島に寄り添ってくれる沢山の方たちがいるのを、すごく勇気がいただけたので、私は必ずこの苦しみを乗り越えて見せます。絶対にあきらめないで、原発反対の声を挙げ続けていきます。

(2人目の女性)

 とにかくここから出なくてはならないと、そこで我が家の場合、上の息子と深い対立になったんです。上の息子は、「どうせ国に捨てられた命だ。どうせ病気になるんだろう。どうせ死ぬんだろう。好きにさせろ。国が動かない限り、俺も動かない。」とそればかりでした。
 そのいざこざを聞いてた下の息子が、あるとき寝る前に布団の中で私に言いました。「あのさ、ぼくがんになってもいいよ。病気になってもいいよ。兄ちゃんのために諦めるよ。」と。
 私は「これはダメだ」と、「下の息子だけでも連れて出なきゃいけない」と、そう思って両親と相談して、上の息子を両親に託して、下の息子だけを連れ出すことにしました。

(2人目の女性の下の息子)

 兄ちゃんが残るんだったら、まあ、そのままいて、病気になってもいいかなーなんて。やっぱり、兄弟だから、世界でたった一人の兄弟だから、あの、離れたくなていうか。





(2人目の母)

 私は相馬から出てきた日からずっと、体が二つに引き裂かれました。体は秋田へ来たけれど、心は相馬に置いてきた。朝から晩まで相馬に遺してきた息子の体を心配し、夜もろくに眠れない日がもう一年以上も続いています。
 福島県内では、安全派と危険派のどちらを信じるか、もうまるで宗教のようになっています。みんな困り果てて泣いています。もちろん避難してきた人も泣いています。福島においてきた家族や友人知人の身を案じて、避難してからもずっと泣いています。私も泣き疲れました。
 最近では上の息子は胸が痛いと訴えています。心臓が痛いといって病院へ行きますが、原因がわかりません。被曝かどうかわかりません。もう、ただただ心配でなりません。
 福島は捨てられました。国に捨てられたんです。私達は捨てられた。棄民はこうしている今も続いている。私はどうしてもそれが許せない。
 国を動かしたい。それには、国民の一人一人が本気で立ちあがらないといけない。絶対に間違った人に貴重な一票を入れてはいけない、そう思います。

(2人目の母の下の息子)

(英語:どんなふうに人生を楽しみたいと思いますか?
どんな風に生きていかなければいけないと思いますか?)

 まあ、国に自由を奪われたっていう感じに思います。国と東電とか、そういう政府関係の責任だと思います。大人になったら、まあ、医者になって、多分この福島の事故で、いっぱい病気の人が出ると思うから、そういう人たちを治してあげたいです。

後半
http://blogs.yahoo.co.jp/papakoman/17028080.html

(3人目の女性)

 うちの子供もそうやって避難したにもかかわらず、二人とも甲状腺に嚢胞がありました。3ミリの嚢胞が二人にあったんですけれども、本当に、子どもらになんて言っていいか、わからなかったです。
 あの時私が逃げていれば、知識があればってすごく思って。国は、原発を国の下でやってきたので、子供たちぐらいは助けてくれてもいいのに、どういうことだろうって思いましたね。
 だから福島県内の子供を持っている方以外にも、おじいちゃんでもおばあちゃんでも、私達はわからないっとかって言うんではなくて、自分の子供とか孫とかがそういう目に遭っているとか、子供がいるとかいないとかでなくて、将来の福島県の未来が、こういう形で蝕まれていっているというか、そういうことに対して、何でみんな怒らないんだろうって、すごく思いましたね。
 国からいけば、一人二人死んだって関係ない、一人の甲状腺がんが出たって関係ない、一人だからって話なんでしょうけど、親からしてみれば自分の子供なんですよね。代わりはいなくて、それが100パーセントなんです。
それなのに、甲状腺がんは性質のいいがんで、切れば大丈夫なんていう話をされても、嚢胞ができただけで子どもになんて説明していいかわからないのに、本当に、甲状腺がんになった子どものお母さんとかお父さんの気持ちを考えると、ま、お子さん本人もですけれど、本当に県の人たちは、責任を感じているのかとか、ヨウ素剤を配ってくれていればこんなにならなくて済んだんじゃないかとか。いまだにヨウ素剤も配らないし、避難計画も立てないっていうような、県の対応に対して、私達住民が声も上げられないっていうところに、非常に何か、辛い、辛いというか。

(ふくしま共同診療所設立関係者の女性)

 子どもたちの命、市民たちの命の立場に立って、放射能に対する不安や、いろんな症状が出ていることを、どんな風に考えていっていいのか、どんなふうに受けとめたらいいか、それについてどういうふうに向かったらいいか、ということを、考えて下さる、診察して下さる、お医者さんがないんです。
 医師会のブロック、山下安全説の中で、そうした立場に立ってものを言ってくれるお医者さんがいないんです。ですからやっぱり私たちだけで、市民の立場で、市民が自分たちの手によって診療所を作りましょうという動きになりました。

(英語:なぜ行政は適切に市民の世話をしたり世話することを援助することを拒否しているのですか?
なぜあなたたちはこうすることを強いられているのですか?)

 多分、人口がなくなれば行政が立ち行かなくなり、今の体制が壊れてしまうっていうことを恐れているんだと思います。命より目の前の利権、というその構造で、自分たちを守っているんだと思います。

(3人目の女性)

 前回もちょっと本当に逃げ遅れたというか失敗してしまいましたので、今回は、絶対に子どもたちを守りたいと、甲状腺がんになったりとか手遅れになったりということがないように、「検査をちゃんとやってくれ」と言うのは、私たち大人の責任だと思っていますので。
 飯舘の子供たちも、まだ線量の高い(福島市)川俣とかに置かれていまして、本当に飯舘の子どもたちこそ、沖縄とか北海道とかにやらなくちゃいけないのに、ここよりも線量の高い川俣にまだ置かれているという事実、それに、2年後には除染して飯舘村に戻れとかって言っているような、そういう日本という国が私は信じられなくて。
 4件も原発が爆発したのに、こうやって普通に生活しなさい、大丈夫です、安全ですって言われて、子供たちが毎日毎日体痛めつけられているのに、何もできない私達も無力ですし、本当に、どうしていいか教えてほしいと思います。
by addionuke | 2013-05-30 12:57
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