通産省前テントのその後

3月12日 The Wall Street Journal から

震災から1年:経産省を占拠せよ


 これが、日本版「ウォールストリートを占拠せよ」運動、こと「経産省を占拠せよ」だ。

 3月11日は、日本最悪の原子力発電所の事故となった福島第1原発の事故を引き起こし、原発依存への反対運動に火を付けた大震災から1年目だった。 だが、それだけではない。この日は、2000人が反原発デモに集まり、その混乱の中で、経産省近くにこのテントが設置されてから6カ月目の節目でもあっ た。

 テントの占拠者たちは当初、1週間も持たないだろうと思っていた。しかし驚いたことに経産省は彼らを追い出そうとしなかった。日本のコンセンサス政治の風土のためか、政府が話し合い解決を図ろうとすると、抗議者たちはますます強気になった。




 テントのある場所は国有地だ。毎日、制服警官と私服警官が、テントに誰がいるかを確認に来る。そして退去を命じる。しかし占拠者たちは占拠を続ける 意志を表明する。最近、筆者が訪ねたときに応対してくれた抗議者は、国有財産なのだから原発に関する公共の議論をする場所に使って何が悪いのかと言う。

 経産省は、自分たちの目標も、占拠者と同じで脱原発だと強調する。

 しかし占拠者は納得しない。JRT編集部の電話取材に対し、停止中の原発の再稼働にも反対で、政府が再稼働を諦めると約束しない限り立ち退くつもりはないと述べる。

 テントの中は寒い。最低2人常にテントの中で見張りをして、警察の深夜や早朝の急襲に備えている。携帯用カイロを10個ぐらい体に貼り付けて暖を取っているそうだ。

 こんなに長く占拠できるとは思っていなかったと、夜の番を終えたばかりの白髪頭の占拠者はテントから出てきて言った。原発開発への罪の意識で退去を迫れないのだろう、と経産省の姿勢を推測した。

 経産省関係者は、力で排除しようとすることに対するイメージを懸念していると明かす。そのつもりはないのに反原発運動を排斥しようとしているように見えるからだ。

 ただ、昨年末には険悪な場面もあった。年末の集会で映画が上映されたのだが、そのとき火災が発生した。燃えたのは1分ほどだったが、これに経産省が懸念を強めた。

 正月休み後、経産省は1月27日までに退去するよう最後通告を出した。しかし期限が来たとき、主催者側によると約800人が集まり、排除しようとすれば大騒ぎになるであろうことが予測された。

 経産省は今度は、裁判所の仮処分を求めることを検討している。

 昨年3月以降、こうした抗議運動に対する政府の対処の仕方は明らかに変わったと、反原発運動家は言う。「こんな占拠は不可能だった。1960~70年にかけて、社会運動がもっと激しかったときでもだ」と白髪頭のテントの番人は語った。
by Addionuke | 2012-03-14 18:53 | 関連ニュース
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